大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

静岡地方裁判所 昭和62年(ワ)294号 判決

原告

金子平

被告

藁科美奈子

主文

一  被告は、原告に対し、金三九六万二〇三〇円及びこれに対する昭和六〇年六月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その三を原告の、その余を被告の、各負担とする。

四  この判決は、主文第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一〇三四万一五七〇円及びこれに対する昭和六〇年六月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二請求原因

一  事故の発生

1  日時 昭和六〇年六月四日午後五時五分頃

2  場所 静岡市国吉田五三―五地先国道

3  加害車 被告運転の普通乗用自動車(静岡五七て四〇六二)

4  被害車 原告運転の軽四貨物自動車(静岡四〇か五三〇九)

5  態様 加害車が信号機の赤色表示に従つて停車中の被害車の後部に追突した。

二  責任原因

1  被告は、加害車を自己の運行の用に供していた者であるから、自動車損害賠償保障法三条の規定に基づき本件事故によつて原告が被つた損害を賠償すべき責任を負う。

2  被告は、前方を十分注視しないまま加害車を走行させた過失によつて本件事故を惹起したものであるから、民法七〇九条の規定に基づき本件事故によつて原告が被つた損害を賠償すべき責任を負う。

三  原告の傷害及び治療経過

原告は、本件事故により頭部外傷、外傷性頸部症候群及び腰椎挫傷の傷害を負い、むち打ち症となり、その治療のため次のとおり入院及び通院をしている。

1  日野医院

(一) 昭和六〇年六月五日から同年一二月七日まで入院

(二) 昭和六〇年一二月八日から同六一年三月二三日まで通院

(三) 昭和六一年三月二四日から同年六月四日まで入院(日野医師が昭和六一年六月四日に自殺したため全員同日退院となつた。)

2  秋山外科医院

昭和六一年六月五日から昭和六二年五月二九日まで通院

3  焼津市立総合病院

昭和六二年五月二八日から昭和六三年三月四日まで通院

4  松の井指圧センター

昭和六二年一二月三日から昭和六三年一月一一日まで通院

四  損害

1  入院雑費 金三一万〇八〇〇円

昭和六〇年六月五日から同年一二月七日までと昭和六一年三月二四日から同年六月四日までの原告の入院期間合計二五九日について一日当たり金一二〇〇万円の割合で計算した。

2  休業損害 金一〇七一万六九八六円

原告は、本件事故当時、清水市下野の長沢建材に勤務し、月額給与金二六万円及び夏季及び年末一時金年間合計金七八万円を得ていたところ、本件事故によりむち打ち症になり昭和六〇年六月五日から昭和六三年三月三日までの間の収入を失い、合計金一〇七一万六九八六円の損害を被つた。

3  入通院慰謝料 金三一八万円

原告は、本件事故により前記のように入通院しているが、昭和六三年三月四日までの入通院慰謝料としては少なくとも金三一八万円が相当である。

4  修理費用 金四万円

原告運転の被害車が本件事故により破損し、原告は、その修理費用として金四万円支払つた。

5  後遺症による逸失利益 金五三万二五四五円

原告は、昭和六三年三月四日症状固定となり、後遺症として左頸部、後頭部、左肩甲上部にかけての疼痛、左上肢の痺れ記憶力の低下等があるので少なくとも右後遺症により収入の五パーセントを三年間に渡り喪失したものであり、その逸失利益を新ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して原価に引き直すと、その額は金五三万二五四五円になる。

6  後遺症慰謝料 金九〇万円

前記後遺症によれば少なくとも金九〇万円が後遺症慰謝料として相当である。

7  損害の填補 金五九九万八七六一円

(一) 原告は、加害車加入の自動車保険から休業損害分として金一二三万九三六六円の支払を受け、これを前記損害に充当した。

(二) 原告は、労働者災害補償保険給付として合計金四七五万九三九五円の支払を受け(但し、特別支給金は除く。)、これを休業損害に充当した。

8  弁護士費用 金六六万円

原告は、被告から損害額の任意の弁済を受けられないため、原告訴訟代理人に本訴の提起と追行を委任し、その費用及び報酬として金六六万円支払う旨約した。

五  よつて、原告は、被告に対し、本件事故による損害賠償として金一〇三四万一五七〇円及びこれに対する本件事故日である昭和六〇年六月四日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三請求原因に対する認否

一  請求原因一の事実は認める。

二  同二の事実及び主張は認める。

三  同三の事実のうち、原告が本件事故により外傷性頸部症候群及び腰椎挫傷の傷害を負つたことは認めるが、頭部外傷を負つたことは否認し、入通院したことは不知。

四  同四の事実のうち、7の損害の填補額は認めるが、その余は不知。

五  同五の主張は争う。

第四被告の主張

一  本件事故による原告運転の被害車の損害は、その修理代金二万七〇八〇円が示すとおり軽微なものであり、事故の処理としても物損扱いとなつているのであるから、原告が本件事故によりその主張するが如き治療を要する傷害を負うことはあり得ない。

二  仮に、原告がその主張のような傷害を負つたとしても、鈴木庸夫作成の意見書(乙第八号証の一)に記載されているように、症状固定時期としては、事故後六か月を経た昭和六〇年一二月四日であり、就労不能期間は三か月程度とするのが相当である。

原告の治療が長期化したのは、原告の心因性要素に起因していることが明らかである。

第五被告の主張に対する認否と反論

一  被告の主張一の事実は否認し、その主張は争う。

被害車の修理代金は金四万円である。また、本件事故によつて原告が外傷性頸部症候群、頭部外傷、腰椎挫傷等の傷害を負うことはあり得ないとする林洋作成の鑑定書(乙第六号証)は、全く誤つた事故態様及びデーターによつて算出した衝撃加速度を前提として推論を展開するものであり、信用に値しない。

二  同二の主張は争う。

鈴木庸夫の意見書(乙第八号証の一)は、事故の態様について意図的に小さくしたうえ、原告の臨床所見についても保険会社の都合のよい所だけを恣意的に選択したデーターを前提として展開された判断であり、全く不当なものである。

現在の医学検査レベルでは他覚的に観察できないむち打ち症も十分考えられるし、原告の治療にあたつた山本泰久医師は、頸椎椎間板ヘルニアを伴わない頸椎捻挫であつても、すべて三ないし四か月で治癒するとは限らず、それより長期の治療が必要な場合もあり、原告の場合はそのような事案であるとしている。

第六証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  原告主張の請求原因一の事実及び同二の事実と主張は、いずれも当事者間に争いがないので、被告は、本件事故によつて原告が被つた損害を賠償すべき責任を負うべきである。

二  そこで、原告の負つた傷害及び治療の経過について検討するに、原告が本件事故により外傷性頸部症候群及び腰椎挫傷の傷害を負つたことは当事者間に争いがなく、成立に争いない甲第三号証、同第八号証、同第一七号証(原本の存在をも含む。)乙第二号証、同第七号証の二、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一、二号証の各一、二、同第三号証、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次のような事実が認められる。

1  原告は、事故の翌日日野医院で腰痛等を訴えて診療を受けたが、その際「頭部外傷、外傷性頸部症候群、腰部挫傷」と診断され、翌六月六日から同年一二月七日まで入院加療を受け、同年一二月八日から昭和六一年三月二三日まで通院したが、同月二四日から同年六月四日まで再度入院して治療を受けた。

日野医院の昭和六〇年七月一六日の診断では、「レントゲン所見上、頸椎の前屈不十分の所見があり、脳波は基礎波は不規則、限界線上の所見と見た。CT検査にて前頭部に虚血個所があり、脳浮腫が認められた。髄液圧は初圧二七〇ミリと高値で脳圧は高かつた。」とされ、その間、原告は、牽引、ホツトパツク、湿布とともに神経ブロツクの治療を受けた。なお、森本外科医院における昭和六〇年九月六日のCT検査では、異常なしと診断された。

2  原告は、昭和六一年六月五日から昭和六二年五月二九日まで秋山外科医院に通院しており、「頭部挫傷、外傷性頸部症候群」と診断されて、ホツトパツク、マツサージ、注射等の治療を受けた。

3  原告は、昭和六二年五月二八日から昭和六三年三月四日までの間焼津市立総合病院に通院し(治療実日数三〇日)、主として神経ブロツク注射による治療を受け、昭和六三年三月四日症状は固定したものと診断されている。なお、原告は、焼津市の松の井指圧センターにも通い、指圧の治療を受けた。

以上の事実が認められ、右認定に反する乙第六号証は採用することができない。

三  進んで、原告の被つた損害について判断する。

1  入院雑費 金二五万九〇〇〇円

原告は、前記の原告の入院期間合計二五九日について一日当たり金一〇〇〇円を下らない雑費を支出したものと認めるのが相当である。

2  休業損害 金六五七万九二四六円

原告本人尋問の結果とこれにより原本の存在と真正な成立を認められる甲第六号証によれば、原告は、本件事故当時、清水市下野の長沢建材に勤務し、平均月額金二六万円の給料と年間合計金七八万円の一時金(年間収入合計金三九〇万円)を得ていたが、本件事故により入院と通院を余儀なくされたため、昭和六三年三月三日まで全く収入を得られなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

しかしながら、原告本人尋問の結果とこれにより真正に成立したものと認められる甲第一〇号証、同第一一号証の一、二、同第一二号証の一ないし三によれば、原告の訴える症状は、主として頭痛、頭重感、不快感、肩痛などであることが認められるから、長期間入院して治療を受けるまでの必要性があつたかどうかについて疑念があること、証人武沢昭の証言によれば、原告が初めに診断、治療を受けた日野医院の日野和雄医師は、交通事故の患者等自由診療の患者が来診した場合には直ちに入院をすすめ、関係者からの退院申入れを拒否して高額の診療報酬を得ようと企図していたことが認められること(弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる甲第一号証の三、四によれば、日野医院は一点単価三〇円(健保報酬の三倍)の報酬を得ていることが認められる。)からすれば、原告の治療の長期化は、日野和雄医師の患者に対する対応や治療方法の不適切が影響しているのではないかと窺われること、証人鈴木庸夫の証言とこれにより真正に成立したと認められる乙第八号証の一によれば、原告のような頸椎捻挫の患者については、長くとも三ないし四か月程度で治癒するのが通常であるが、加療が三年にも長期化したのは原告の心因性反応による症状によるものと考えられること、原告の主訴とその通院日数、治療内容等によれば、原告が通院期間中全く稼働できない状態であつたとは考えられないことなどの諸事情に鑑みれば、原告の休業損害は、昭和六〇年六月五日から昭和六一年六月四日までの一年間は一〇〇パーセント、昭和六一年六月五日から昭和六二年六月四日までの一年間は五〇パーセント、昭和六二年六月五日から昭和六三年三月三日までの二七三日間は二五パーセントの割合で算定するのが相当というべく、原告の前記給料と一時金の合計金三九〇万円を基礎に原告の休業損害を算定すると、次のとおり合計金六五七万九二四六円となる。

(一)  昭和六〇年六月五日から昭和六一年六月四日まで 金三九〇万円

(二)  昭和六一年六月五日から昭和六二年六月四日まで 金一九五万円

(三)  昭和六二年六月五日から昭和六三年三月三日まで 金七二万九二四六円(一円未満切捨)

390万円÷365÷0.25×273=729246円

3  入通院慰藉料 金一五〇万円

原告の前記受傷の部位程度、入通院期間等の諸事情に鑑みれば、入通院慰藉料としては金一五〇万円をもつて相当と認める。

4  修理費用 金四万円

弁論の全趣旨とこれにより真正に成立したものと認められる乙第一号証によれば、原告は、本件事故により破損した被害車を修理し、その費用として金四万円程度を支出したものと推認することができる。

5  逸失利益 金五三万二五四五円

原告は、昭和六三年三月四日症状固定となつたことは前認定のとおりであるが、前掲甲第一七号証と原告本人尋問の結果によれば、原告にはなお左頸部等の頭痛、左上肢のしびれ感などの後遺障害が残つていることが認められるので、更に将来の三年間にわたり五パーセントの収入減があるものと認めるのが相当であり、その逸失利益は、原告主張のとおり合計金五三万二五四五円をもつて相当と判断する。

6  後遺症慰藉料 金七〇万円

原告の後遺症の内容・程度等に鑑みると、後遺症に対する慰藉料としては金七〇万円をもつて相当と認める。

7  損害の填補 金五九九万八七六一円

原告の前記1ないし6の損害の合計は金九六一万〇七九一円であるところ、原告は、自動車保険と労災保険から休業損害の補償として合計金五九九万八七六一円の支払を受けたことは当事者間に争いがないから、原告の残損害は金三六一万二〇三〇円となる。

8  弁護士費用 金三五万円

本件事案の内容、訴訟の経緯、認容額等に徴すると、被告に賠償を求め得る弁護士費用は、金三五万円と認めるのが相当である。

四  以上のとおりであるから、原告の本訴請求は、被告に対し金三九六万二〇三〇円及びこれに対する本件事故発生の日である昭和六〇年六月四日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容するが、その余を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 塩崎勤)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例